お金と幸せ
最近、収入が増えた訳でもないけれど、少しだけ意識してお金を使うようにしてみました。
意識したことは、【普段よりランクの高い使い方をすること】です。
簡単に言うと、高額な買い物も臆せずする、ということになりますが、
普段から、「あ〜お金があったらこっちを買うのにな〜」「あ〜お金があったらあれをパッと買って解決しちゃうのにな〜」と思っていることにお金を使うのです。
すると、買った直後は、「あ〜これこれ!これが欲しかったの〜幸せ〜〜!!」という感情ではなく、
高揚感と背徳感、満足感と罪悪感が入り乱れている状態でした。
まぁ、予想内ではありますが、相反する感情が一瞬のうちに絡み合い、なんだか幸せなのかよくわからないんですよね。
せっかく、お金たくさん使ったのに…
さらに、その後時間が経ち冷静になってくると、あれれれ…
それを手にしたところで、その他の足りないものへの欲求や、それを味わうために必要な、例えば健康や環境がなく恩恵を受けられないなど、全く満たされるどころか、新たな“あれがない、これもない”オバケが生まれるだけだったのでした。
もちろん、それとは別にちゃんと獲得したメリットもあるのだけれど、だからと言って文句なしに満たされるとか、私は変われた!とか劇的な好変化はないのです。
つまり、お金がなくて手にできないとずっと自分を苦しめていた拗ねた感情は、単なる思い込みで、
それを手にしたところで、またほかの渇望感がちゃんと用意されていますので、人生の“精神的な”充足感においては何も変わらないし、きりがないという感じがしています。
そう考えると、やはりよく言われているように、お金は幸せになるために必要な手段の一つなんだなぁ、と呆気なくストンと腑に落ちたのでした。
とはいえ、大抵のことはお金でクリアできます。
ただ、その前の大前提として、大事なことがあります。
それは、
どんな自分になりたいのか、
どんな環境に身を置きたいのか、
どんな風に周りの人を応援したいのか、
など、そういった目的をしっかり明確にしておく、ということです。
その大前提がないと、お金に使われてしまいます。
お金は、使って終わりではなく、
その瞬間、そしてその後においての自分の感情をしっかり確認しながら、次の使い方へと生かしていく。
使って練習、使って練習。
失敗しても無駄遣いじゃない。
上手にお金を使えるようにならないと、精神的にも物理的にも豊かで幸せな人生には辿り着けませんから。
誰かが言っていました。
「失敗とは、何もせずに立ち止まっていることだ」と。
今、お金に余裕がない私は、今までの言動が間違っていたことの表れ。
お金は溜め込まず、使って、学んで、次はもうちょっと上手に使って、感謝して、また学んで、循環させる。
しばらくは、お金の使い方の勉強代がかさみそうです。
いずれくる豊かな人生を楽しみにして…