偽の理想に惑わされていたことに、今更気付きました。
前回のブログで、
自分の基準に照らして理想を精査していく。
という、内容を書きました。
あれから、何日か考えている中、ある出来事が起きました。
専業主婦ですから、朝昼晩の食器などの洗い物は当然の仕事となります。
特に、夕食後は1日の終わりで疲れてもいるし、洗い物の量も一番多いので私は大嫌いです。
ある平日の夜、「俺、今日洗い物するよ~」と夫が言いました。
夫は洗い物が大好きです。積んであればあるほど、綺麗になって無くなっていく様が快感なのだそう。
私は、いつものように「いいよ、私がやるから」と言います。
いつもは、そこで夫も「そうか」と言って、この会話は終わるのですが、
その日は、夫も「いいよ、洗うよ♪」と返すので、
私は、「いいって!お皿洗わなかったら私なんのためにいるのかわからないじゃん!」と少しキレて返します。
その時です。
「え???○○(←私の名前)は洗い物のためにいるわけじゃないじゃん」
と、きょとんとした顔で夫が言ったのです。
当たり前のように言う夫とは反対に、私は
「えぇ!!!」
となりました。
あれ、本当だわ、そう!私、洗い物のために存在してるわけじゃない!
そんなの悲しすぎる!
もし、世界のどこかで洗い物のために生きてる人がいたら、私だって夫と同じこと言いたくなるもん!
なんでーなんでー!今までそんなことに気づけなかったのー!!私!!
自分で自分いじめてたんじゃない、この大バカ者~~
と、心の中で、次から次へと自分への言葉が飛んできました。
専業主婦だから、家の事はなんであろうと完璧であるべき、という思い込みが私を盲目にさせていたのかもしれない、と衝撃が走りました。
家事を仕事終わりの夫に手伝ってもらうなんて、落ち着きません。
そんなことしてもらう自分でいたら自分の価値など無いと思っているからです。
せめて、家族のために役に立ってないと、私は自分自身の存在価値を保っていられないのです。
その後、冷静にこの衝撃を味わってかみ砕いて考えてみました。
専業主婦なら家の事は完璧にできて当たり前だ、という私の理想は私だけの理想であって、夫の中ではそうではなかった。
誰もそんなこと求めていなかったのか、、、。
私がこの理想に追いつく為に、苦手な家事を嫌々やり続けてきたことが、なんて無駄なことだったんだと。
そう気付いた瞬間に、私の中でこの理想は消えました。
ここで、わかったのです。
私のこの、
“専業主婦として家事を完璧にこなしたい”
という理想は、私の基準ではなかったのですね。
一般的な専業主婦の理想像、
夫や子からこう求められているだろうという思い込み、
そういった、外的な要因から生まれた偽の理想だったのだと、今ははっきりと認識できています。
私自身は、家事において、そこまで情熱や向上心など持っていなかったのです。
(ずっと持っているとさえ思いこんでいました。)
まさに盲目状態です。
今回の事で、案外、自分自身を知るということができていないのだなぁ、と思いました。
正しい理想を持つ上で、自分なりの基準、価値観を軸に精査していくこと。
そのためには、自分自身を知ること。
そして、自分自身を知るためには、他人との相違点が大きなヒントになること。
を学びました。
私一人では出せなかった答えを一つ得ました。
夫の何気ない価値観に触れた時に感じたズレ、違和感。
それこそが、自分自身を可視化させてくれるきっかけになるのですね。
後日、平日の夜に、また夫が声をかけてくれたので、洗い物をお願いしました。
終わると、夫はニコニコしながら、
「やっぱ俺、洗い物好きだわ~、気持ちもいいし、無心で片付けてると瞑想してる感覚に近いんだよね~、夜ご飯食べてすぐに眠たくなる時間帯もやり過ごせるし~これから夜のルーティンにしよかな!」
と言うのです。
さすがに、ルーティン入りはお断りしましたが、、、
私があれだけ嫌々執着していた理想を手放しても、何も事態は変わらない。
むしろ、今回のことに限って言えば、目の前の人は迷惑どころか楽しんでいる。
私は一体どれだけくだらない理想に囚われていたのだろう、と拍子抜けしてしまいました。
今回は大収穫!
なんといっても、こんなに大きな理想を一瞬で手放せたのですから。
しかも、なんの迷いも葛藤もなく、苦労もせず、サラッとですから、清々しいったらありゃしない。
そして、今は、
専業主婦として、私が大事にしたい本当の理想を見つけたい。
そう思っています。