理想の断捨離をすれば、真の理想を見つけられる
毎日、無気力なまま、何も成せないまま、1日が過ぎ去っていきます。
当たり前の日常にこそ、価値がある…
よく聞く言葉ですが、私にはどういうことなのかよくわかりません。
人生の本質を知っている賢い人は、小さな幸せに気付き、感謝し、何気ない日常の繰り返しこそに幸せを感じているのでしょうか。
私にも小さな幸せはあるのですが、満たされてはいません。
同じように小さな幸せに気付けているのに、満たされている人と満たされない人の違いはどこにあるのかな…
前回のブログを更新してから、理想的なイメージが浮かんでもポイっとスルーしてみています。
まだ始めて間もないですが、とても無理しています。
それでも、理想を考えないようにスルーしても、私は変わらず生きていられるし、目立ったトラブルが起きたり困るわけでもないんですよね。
案外、理想なんてものはあっても無くてもどちらでも一緒じゃないの、と思う時さえあります。
ふと、理想を手に入れたとして、本当に求めていた変化が起きるのか想像してみることにしました。
まず、今の部屋よりもっと広い部屋に引っ越したいと思っている私は、
自分が広い部屋のリビングでくつろいでいる様子をイメージしてみます。
あれ、ワクワクしてきません。
望んでいることは確かなのに、どうしてか。
正確には今より広いマンションに引っ越せて、ワクワクする瞬間は確かにあるのだけれど、その状態が継続しない気がするのです。
きっと慣れてしまい、また今と同じ顔をして惰性で暮らしている自分が想像できます。
ワクワクした状態が継続しないということは、また渇望し次の理想を追い求める、
ということになります。
もう渇望は嫌、うんざりするほど味わっています。
理想が高いとは、やみくもに無駄な欲までを理想としてしまい、求めていただけのこと。
湧いてくる欲を一つ一つ精査してから理想へ昇格していくことが必要かもしれません。
精査、、、
私の場合は、ワクワクが持続すること。
これが基準のようです。
物欲は、手にした一瞬は嬉しいけど、日を追うごとにしぼんでいきます。
だから、基準を満たしていません。
理想を手放すにあたって、量を半分にすればいいと思っていた私ですが、
量ではなく質を見直さなくてはいけなかったようです。
理想は、あれもこれも何から何まで持つものではないのですね。
本物の理想を少しだけ。
自分なりの基準で残していく。
そうして残った真の理想を手に入れた時、
もしくは手にするまでのプロセスまでもが
心を満たしてくれるかもしれません。